殺人鬼

2014.06.28  渡邉達朗

殺人鬼

あの晩、私は変な男を見た。黒い帽子を被り、黒眼鏡をかけ、黒い外套を着たその男は、義足で歩くたびにコトコトと不気味な音を立てている。そして男は何故かある夫婦をつけ狙っていた。彼の不審な挙動が気になった私は、その夫婦の家を見張るが、数日後、その夫のほうが何者かに惨殺されてしまう……。

本書は表題作の「殺人鬼」をはじめ、「黒蘭姫」「香水心中」「百日紅の下にて」の4篇を収録した横溝正史の中短篇集。すべての作品に名探偵・金田一耕助が登場する。

三角ビルの五階にあるオンボロな金田一耕助探偵事務所が登場する「黒蘭姫」や、めずらしく金田一に殺人事件以外の依頼が寄せられる「香水心中」など、それぞれ見どころの多い作品が揃っているのだが、なかでも白眉なのは「百日紅の下にて」だろう。

殺人鬼

「殺人鬼」は昭和22年12月から翌年2月までカストリ雑誌「りべらる」に連載された作品。連続殺人鬼が世間を騒がせていたある夜、探偵小説家の八代竜介は吉祥寺駅から自宅に向かう途中、夜道の一人歩きが怖いと怯える美人に声をかけられる。

彼女の名は賀川加奈子。前夫である亀井淳吉に付きまとわれる毎日を送っていた。加奈子に復縁をせまる淳吉は、黒づくめの服装で義足の音を響かせながら家の周りを歩き回っているという。そんななか、加奈子の駆け落ち相手である賀川達哉が殺される事件が発生。犯人は現場から逃げ出した淳吉だと思われたのだが……。

本作は作家である八代竜介の手記というスタイルを取っており、終戦直後を扱った横溝作品によく登場する義足の男が重要な役割を果たしている。戦災によって身体の一部が傷つき、義足や義眼となった人物はトリックに使いやすかったのだろう。

我らが金田一耕助はしきりにゴミをあさっている不審人物として登場するが、きちんと謎を解明してくれる。ただ、本作においては真犯人が霞むほどの衝撃が最後に待ち受けていた。

<登場人物>
八代竜介 … 探偵小説家。近所に住む賀川加奈子と知り合う。
賀川達哉 … ヤミブローカー。亀井淳吉とはいとこ同士。
賀川梅子 … 達哉の妻。関西では有名な女学校の経営者。
賀川加奈子 … 亀井淳吉の出征中、賀川達哉の内縁の妻となる。
亀井淳吉 … 賀川加奈子の前夫。義眼・義足となった復員兵。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

黒蘭姫

「黒蘭姫」は昭和23年1月から3月まで「読物時事」に連載された作品。東京・銀座にあるエビス屋百貨店の貴金属売り場で万引きが発生。取り押さえようとしたフロア主任・沢井啓吉が刺殺された。

犯人は黒い外套に厚いヴェールを被った「黒蘭姫」と呼ばれる特別な存在で、百貨店内の万引きを黙認されていたことがわかってくる。支配人の糟谷六助が全てを知っているらしい事から解決は容易と思われたが、今度は喫茶室で毒殺された男の死体が発見されてしまう。はたして二つの殺人事件は黒蘭姫の仕業なのだろうか……。

この事件はなんといっても、京橋裏の三角ビル五階にある金田一耕助探偵事務所が登場するのがファンには嬉しいところ。金田一の旧友・風間俊六の二号が経営する割烹旅館「松月」に転がりこむ前、たった三ヶ月間だけ構えていたという探偵事務所である。

「三角ビルの三角であることを身をもって如実に示している」「部屋全体が三角」「まるで表現派のお芝居の舞台装置みたい」「椅子やデスクが三角でないのが不思議なくらい」「この部屋にあるのは、二脚の椅子とデスクがひとつ、ほかに書棚がひとつあるきりである」と書かれていることから、相当みすぼらしく狭かったことがうかがえる。

また、金田一の長年の相棒となる警視庁捜査一課の等々力警部も初めて登場するが、二人の出会いの描写はなく、本作より後の「暗闇の中の猫」で金田一と等々力警部は初めて出会っている。

<登場人物>
新野恭平 … 東京・銀座にあるエビス屋百貨店の社長。
新野珠樹 … 恭平の長女。万引きを繰り返す。通称・黒蘭姫。
糟谷六助 … エビス屋百貨店の支配人。新野珠樹の婚約者。
沢井啓吉 … 貴金属売り場の新しい主任。黒蘭姫に刺殺される。
磯野アキ … 貴金属売り場の古参店員。新野珠樹の同級生。
伏見順子 … 貴金属売り場の店員。
柴崎珠江 … 婦人服売り場の店員。
宮武謹ニ … 一週間ほど前にクビになった沢井啓吉の前任。
綾子 … 喫茶室のウェイトレス。
清子 … 喫茶室のウェイトレス。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。今回が初登場。
金田一耕助 … 京橋裏の三角ビルに事務所を構える私立探偵。

香水心中

「香水心中」は昭和33年11月「オール読物」で発表された作品。有名な化粧品会社の社長・常盤松代から調査の依頼を受けた金田一耕助は、休暇中の等々力警部と同乗し、彼女が別荘を所有する軽井沢へ向かった。

現地に到着してみると、松代は思い違いであったから、このまま手を引いてほしいと告げる。憤慨する金田一に、警察関係者である自分が一緒だったのがいけなかったと謝る等々力警部。

ところが、近くの別荘で心中死体が発見されたことから事態は急変する。女を絞殺してから首を吊ったと思われる男は松代の孫・常盤松樹であり、その遺体はバラの香りに包まれていた……。

本作は「霧の山荘」と同じく軽井沢を舞台にしており、トリックに香水が使われている点が特徴的な作品だ。絶対的な権力を持つ女傑と、それに従わざるをえない3人の孫というシチュエーションは実に横溝正史らしい。相変わらず仲が良い金田一と等々力警部に癒やされるが、事件の真相はあまり後味のよいものではなかった。

<登場人物>
常盤松代 … 化粧品会社「トキワ商会」の女社長。
常盤松蔵 … トキワ商会の創業者。松代の父。
常盤竜吉 … 松代の死別した夫。婿養子。旧姓・上原。
常盤松太郎 … 松代の長男。戦争で死亡。
常盤松次郎 … 松代の次男。戦争で死亡。
常盤松江 … 松代のひとり娘。故人。
常盤松樹 … 松太郎の遺児。香水心中事件の当事者。
常盤松彦 … 松次郎の遺児。亡母はカフェの女給だった。
川崎松子 … 松江の娘。
上原省三 … 竜吉の兄の孫。両親を失い松代に引き取られた。
小林美代子 … 松代の養女。省三のふたいとこ。妊娠している。
青野百合子 … 常盤松樹の愛人。香水心中事件の当事者。
青野太一 … 百合子の夫。ブローカー。
岡田警部補 … 若き捜査主任。金田一の活躍を知っている。
新井刑事 … 警視庁捜査一課所属の刑事。等々力警部の腹心。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 軽井沢へ等々力警部と二人避暑に出かけた探偵。

百日紅の下にて

「百日紅の下にて」は昭和26年1月「改造」に発表された作品。終戦から1年たった昭和21年9月、佐伯一郎は焼け野原となった市ヶ谷にかつての住居を訪れ、焼け残った百日紅の木を眺めていた。

そこへ現れた復員者ふうの若い男。彼はニューギニヤで戦死した友人の川地謙三から、3年前に佐伯の屋敷で起こった事件の謎を解いてくれと頼まれたのだという。最初は渋っていた佐伯だったが、その事件の引き金となった由美という美少女について、ぽつぽつと語り始めたのだった……。

金田一耕助が戦後最初に手掛けた事件は、この「百日紅の下にて」であった。戦友が語った話を元に、過去に起きた悲劇の真相を暴く安楽椅子型の作品で、金田一は復員兵の姿で登場する。

しだいに明らかになる光源氏と紫の上のような異様な関係。誰かが毒を入れたはずなのに、狙った相手に毒が行くとはどうにも思えない状況。それらの真相は金田一耕助の推理により合理的に解明される。

毒殺ミステリとしても素晴らしいが、何よりラストシーンが素晴らしい余韻を残す。金田一ファンならば絶対に読んでおくべき作品。

<登場人物>
佐伯一郎 … 追憶に耽る義足の男。出征前4人に妻の保護を依頼。
佐伯由美 … 自殺した佐伯の若妻。百日紅の花を愛していた。
五味謹之助 … 佐伯の後輩。商社勤務。青酸カリを飲んで死亡。
志賀久平 … 佐伯の同窓。詩人。私立大学の講師。
鬼頭準一 … 佐伯家の元書生。軍需会社に勤務。
川地謙三 … 元不良少年。金田一の戦友。五味殺害の容疑者。
金田一耕助 … 川地謙三の訃報とことづけを伝えにきた復員兵。

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殺人鬼

2014.6.28

横溝正史(金田一耕助)