金田一耕助の冒険1

2016.09.25  渡邉達朗

金田一耕助の冒険1

雑踏で賑わう吉祥寺駅前で、金田一耕助と等々力警部が、一人の青年を見張っていた。やがて、動き出した青年を等々力警部が尾行し、金田一は見当をつけていた現場へ先廻りすることになった。青年は一年前に不可解な事件に巻き込まれて失った記憶を取り戻そうとしていた。その事件の鍵を握る謎の女は、彼の瞳の中だけに存在するのである。今ようやく、事件の全貌が明らかにされようとしていた……。

「金田一耕助の冒険1」は一篇ごとに趣向を凝らした横溝正史の短篇集。「霧の中の女」「洞の中の女」「鏡の中の女」「傘の中の女」「瞳の中の女」「檻の中の女」の六篇を収録しており、すべての作品に名探偵・金田一耕助が登場する。なお、続編の「金田一耕助の冒険2」にも五つの短篇が収録されているので、併せてお読みいただきたい。

どの作品もタイトルから明らかなとおり女がらみの事件で、最後は緑ガ丘町にある金田一のフラットで、事件簿の記録者なる筆者にむけて名探偵が事件の種明かしを行うのがお決まりだ。

1976年に公開された市川崑監督の「犬神家の一族」による空前の金田一ブームのさなか、大林宣彦監督・古谷一行主演で1979年に公開された映画が、この短編集と同名の「金田一耕助の冒険」だった。ファンの間でも賛否が分かれるこの作品は、本書に収録された「瞳の中の女」が原作となっているが内容はまったく異なる。金田一はなぜ被害者が増える前に事件を解決できないのか、その理由を金田一自ら熱弁するといったパロディ要素が強い異色作となっている。

霧の中の女

「霧の中の女」は昭和32年1月「週刊東京」に掲載された作品。霧の深い夜、銀座四丁目にある老舗宝飾店「たから屋」に、黒いストールと色眼鏡で顔を隠した女が現れた。万引きに気づいた店員の牧野康夫が追いかけたが、逆に刺し殺されてしまい、女は霧の中へ消えていってしまう。

数週間後、今度は向島の連れ込み宿「みよし野荘」で、Y生命保険会社の専務・長谷川善三が惨殺死体となって発見される。現場の枕元には「たから屋」で盗まれたアクセサリが残されていた。

長谷川は「たから屋」と背中合わせの位置にあるアルバイトサロン「サロン・ドウトンヌ」の常連であり、そこのホステスである村上ユキは「たから屋」事件の夜、ペンキ塗りたてのポストに誤って抱きついてしまったと言って、オーバーを赤く汚して帰ってきていた。

ユキのオーバーから血液反応が出たことで警察は彼女を犯人だと断定するが、金田一耕助は長谷川の衣服や靴が現場から持ち去られている事に不審を抱き、さらに捜査を続けてゆく……。最後に金田一が事件の謎を明らかにしてくれるのだが、真犯人のその設定は必要だったのか少々気になった。

<登場人物>
川崎和子 … 銀座四丁目にある老舗宝飾店「たから屋」の店員。
牧野康夫 … たから屋の店員。霧の夜、万引き女に刺殺される。
安井政雄 … たから屋の職人。塚本夫人の腕時計を修理した。
塚本夫人 … たから屋の得意客。ひどい近眼で気難しい。
雪枝 … アルバイトサロン「サロン・ドウトンヌ」のマダム。
島田アキ子 … サロン・ドウトンヌのホステス。
花井ラン子 … サロン・ドウトンヌのホステス。
江藤キミ子 … サロン・ドウトンヌのホステス。
村上ユキ … ペンキ塗りたてのポストに抱きついたホステス。
村上謙治 … ユキの夫。S駅の手荷物一時預かり係。子が病気。
長谷川善三 … Y生命保険会社の専務。女遊びに耽る道楽者。
長谷川みさ子 … 善三の妻。
宇野達彦 … 善三の秘書。伯父が親会社の重役。毒舌で陰険。
鉄火のテッちゃん … 男娼。
柳井先生 … 連れ込み宿「みよし野荘」の現場を調べた警察医。
河本警部補 … 所轄の捜査主任。
山田刑事 … 犯人逮捕のため女装した刑事。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

洞の中の女

「洞の中の女」は昭和33年2月「週刊東京」に掲載された作品。世田谷の一軒家を購入し引っ越してきた流行作家・根岸昌二は、庭先にあるケヤキの洞がセメントで埋めてあるのを発見する。その表面からは一本の長い髪の毛がはみ出し、ふわりふわりと風にそよいでいた。見なかったことにするわけにもいかずセメントを掘り返してみると、中から出てきたのは女の全裸死体だった。

しばらくして警察に来た品川良太という艶歌師の供述から、死体の身許は元ダンサーの山本田鶴子だと判明する。彼女はその家に以前住んでいた日疋隆介のキャバレーに在籍していたことがあり、日疋とは特別な関係にあったが、いまは行方知れずとなっていた……。

この日疋という女癖の悪いキャバレー経営者がいかにも怪しいわけだが、彼に同時に犯された三人の女たちがその後辿る運命は切ないものがある。なお、殺人事件の犯人や動機に意外性はなかった。

<登場人物>
日疋隆介 … 銀座裏にあるキャバレー「ドラゴン」の経営者。
日疋兼子 … 隆介の前妻。去年の春、心臓マヒで急死。
日疋珠子 … 隆介の後妻。「ドラゴン」のナンバー・ワン。
根岸昌二 … 流行作家。隆介が以前住んでいた家を購入する。
根岸喜美子 … 昌二の妻。以前ハルミと同じバーで働いていた。
根岸和子 … 昌二の娘。洞のセメントに生えた毛髪を発見する。
岡沢ハルミ … 喜美子の朋輩。隆介の家に来たことがあった。
山本田鶴子 … 「ドラゴン」の元ダンサー。現在は行方不明。
品川良太 … 田鶴子と一時内縁関係にあった艶歌師。
原田 … 日疋隆介の家を根岸昌二に紹介した周旋屋。
益田源一 … 根岸家の隣にある寺の寺男。
高井啓三 … 大財閥の元幹部。いまは病床に伏せており生活苦。
高井千代子 … 敬三の妻。お茶やお花の先生をしている。
小堀 … 高井家の離れに夫婦で住んでいる高校教師。
下山警部補 … 所轄の捜査主任。
春日刑事 … セメントづめの女について隆介を聴取した刑事。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

鏡の中の女

「鏡の中の女」は昭和32年5月「週刊東京」に掲載された作品。銀座のカフェで金田一耕助と会っていた増本女史が、なにか密談をしている若い女と中年男に興味を抱き、得意の読唇術で鏡の中の女の言葉を読み取るところから物語は始まる。

「ストリキニーネ……ピストル? だめよ、音がするから……やっぱり、ストリキニーネね……ジュラルミンの大トランク……三鷹駅がいいわ」

その内容に不安を覚える増本女史に対し、金田一は笑って取り合わなかった。しかしその二週間後、三鷹駅に届いたジュラルミンのトランクから女の死体が発見されてしまう。しかもその死体は、金田一と増本女史がカフェで目撃した若い女だった……。

読唇術で読み取った言葉どおりに殺人事件が起きてしまったことと、殺人を相談していた当の本人がなぜ殺されてしまったのかが本作の重要な謎であるわけだが、トリック云々より犯人の意外すぎる動機に驚かされた。

<登場人物>
増本克子 … 聾唖学校の先生。鏡面の女の不穏な言葉を読む。
河田重人 … ○△産業専務取締役。倉持タマ子と関係を持つ。
河田登喜子 … 重人の妻。夫の不貞行為を疑う栄養満点夫人。
河田由美 … 重人の娘。去年、不行跡が目にあまり退校になる。
倉持タマ子 … 登喜子の遠縁。いちじ河田家に奉公していた。
杉田豊彦 … 河田家の若い運転手。三船敏郎ばりの好男子。
山口良雄 … 逗子から三鷹へ発送されたトランクの宛先人。
高山嘉助 … 河田家の別荘を管理する逗子のSホテル支配人。
藤本文雄 … Sホテルのボーイ。裏の別荘へ食事を運んだ。
川口先生 … トランク詰めで発見された死体を解剖した医師。
古谷警部補 … 三鷹署の捜査主任。
小沼刑事 … 三鷹署の敏腕刑事。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

傘の中の女

「傘の中の女」は昭和32年6月「週刊東京」に掲載された作品。東京近郊の鏡ガ浦海岸で軽く泳いだのち甲羅干しを楽しんでいた金田一耕助は、近くに立てられたビーチ・パラソルの中から聞こえてくる、カップルの甘いささやき声に悩まされていた。しかし、移動するのも面倒だとそのまま寝てしまうあたり、事件のないときの金田一は無精を極めるのである。

しばらくして、叫び声が聞こえた気がして目を覚ました金田一は、ビーチ・パラソルの中からヘルメットを被った男が這い出してきたのを目撃する。その時はさして気にも留めなかったが、ビーチ・パラソルの中では銀座裏にあるキャバレーのマダム・野口和子が殺されていたのだった。金田一は自分が目撃した男の存在を証言するが、自分の証言と他の目撃者の証言が食い違っていることに不審を覚え調査に乗り出す……。

鏡ガ浦海水浴場で金田一を見つけたとき、等々力警部が満面笑みくずれるのが微笑ましい。気付かないフリをしてタバコをふかしていた金田一も、実は警部に対する懐かしさが腹の底からこみあげていたと描かれているのもいい。こんな調子だから、目の前にあるビーチ・パラソルの中で行われた殺人を見逃す大失態を犯してしまうわけだが、ちゃんと金田一が事件の謎を解明するのでご安心を。

<登場人物>
野口誠也 … 銀座裏のキャバレー「フラ」のトランペット吹き。
野口和子 … 誠也の妻。「フラ」のマダム。砂浜で絞殺される。
川崎慎吾 … 川南商会の専務。「フラ」の常連。妻子あり。
川崎早苗 … 慎吾の妹。野口が間違えたビーチ・パラソルの主。
武井清子 … 早苗の学校友達。川南商会に勤務している美人。
加藤 … 川崎家出入りの肉屋の店員。現場で慎吾を目撃する。
南田 … 川崎兄妹の父の親友で、川南商会を合資で作り上げた。
坂口警部補 … 所轄の捜査主任。金田一に好奇心を抱く。
山村巡査 … 所轄の若い警官。真摯で実直。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 珍しく鏡ガ浦で海水浴をしていた無精者の探偵。

瞳の中の女

「瞳の中の女」は昭和33年6月「週刊東京」に掲載された作品。今から1年前、新聞記者の杉田弘は後頭部を殴られ昏倒した状態で発見され、病院に担ぎ込まれた。一命はとりとめたものの、目を覚ましたときにはすべての記憶をなくしていたのである。

両親も兄弟も、婚約者ですら認識できなかった彼だが、ただひとつ鮮明に覚えていたのはイヤリングをつけた女の顔だった。しかしその女がはたして何者なのかは、彼にも周囲の人間にも全く心当たりがなかった。

そんななか、弘は入院中の病院を襲った火事をきっかけに突如記憶を取り戻す。事件当夜の出来事や「瞳の中の女」について頑として語ろうとしない彼は、あの日の記憶を辿るように、吉祥寺にある声楽家・沢田潔人の自宅へと向かうのだった……。

この事件では金田一耕助や等々力警部は杉田弘を見守るように尾行しているだけで、推理らしい推理はしていない。また、ハッピーエンドではあるものの、すべてがあいまいなまま結末を迎えるという異色作である。

<登場人物>
杉田弘 … T新聞社の記者。瞳の中の女以外の記憶を全て失う。
杉田直行 … 弘の父。大学教授。
杉田秋子 … 弘の母。
杉田久 … 弘の兄。
杉田尚子 … 弘の妹。
斎田愛子 … 弘の婚約者。近々結婚する予定だった。
沢田潔人 … 弘が災難にあった夜訪問した声楽家。吉祥寺在住。
K博士 … K精神病院にて弘の記憶を呼び戻すべく実験を行う。
灰田太三 … 血痕が見つかったアトリエの主人。麻薬患者。
陳隆芳 … 中国人。香港に帰ってしまっていて行方不明。
川崎不二子 … 陳隆芳の妾。灰田太三と通じていた。
山下敬三巡査 … 芝公園付近を巡回中、昏倒した杉田弘を発見。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

檻の中の女

「檻の中の女」は昭和32年8月「週刊東京」に掲載された作品。霧の濃い夜、水上署のランチで隅田川を下っていた金田一耕助と等々力警部は、鈴の音がきこえる不審なボートを発見する。そのボートには大型犬用の檻が載せられており、その中には血にまみれた瀕死の女が長襦袢一枚の姿で押し込められていた。

応急処置によって一命をとりとめた女の名は緒方静子。浅草の今戸河岸にある彼女の家を捜索したところ、寝室がおびただしい血で真っ赤に染められていた。そこは男の衣類は残されていたのだが、本人の姿はなく、全身に突き傷を受けた巨大なシェパードの死骸だけが横たわっていた。警察は静子の証言などから、彼女の情夫であった進藤啓太郎が公金を横領し失踪したとしてその行方を追う……。

本作は同年に発表された「トランプ台上の首」や「貸しボート十三号」と同じく、隅田川周辺を主要舞台としている。事件の真相は金田一がきちんと解き明してくれるのだが、もう少しうまい偽装方法を犯人は思いつかなかったのだろうかと疑問に感じた。

<登場人物>
進藤啓太郎 … 戦後たびたび疑獄を起こす政府のある省の係長。
緒方静子 … 啓太郎の二号。ボート上の檻の中で発見される。
中村清治 … 静子が以前働いていた料理屋「花清」の亭主。
お仲 … 花清の女中。台所に鉄の米びつが無いことに気づく。
山崎鑑識課員 … 浅草の今戸河岸にある緒方静子の家を調査。
木村刑事 … 霧の夜、鈴の音を鳴らすボートを調べた水上署員。
新井刑事 … 警視庁捜査一課所属の刑事。等々力警部の腹心。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。ご存知名探偵。

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金田一耕助の冒険1

2016.9.25

横溝正史(金田一耕助)