文明社会から隔離され、古い因習がいまも力を持つ鬼首村(おにこべむら)。磯川警部の依頼により、20年前に村で起きたまま迷宮入りとなった殺人事件の捜査に金田一耕助が乗り出した。ところが到着早々、金田一は新たな連続殺人事件に遭遇する。やがて事件の背後に浮かび上がってくる由良家と仁礼家の存在。金田一は真犯人を見つけ出すため、失われた手毬唄の秘密を追うが……。
「悪魔の手毬唄」は昭和32年8月から昭和34年1月まで探偵小説専門誌「宝石」に連載された横溝正史の長編推理小説。名探偵・金田一耕助シリーズの一つであり、手毬唄の歌詞に沿って行われる童謡殺人を描いている。横溝正史最後の傑作とも呼ばれ、たびたび映像化もされている本作。市川崑監督の映画でご存じの方も多いのではないだろうか。
昭和30年7月、金田一耕助は静養できる場所を求め、岡山県境にある鬼首村の温泉宿「亀の湯」を訪れた。ここを紹介してくれた磯川警部の話では、23年前に女主人・青池リカの夫である源治郎が殺害され、しかもその犯人は捕まらぬまま迷宮入りになっているのだという。
鬼首村には因縁浅からぬ由良家・仁礼家・別所家という3つの旧家があった。当時の仁礼家はぶどう栽培で大きく勢力を伸ばしており、それに危機感を覚えた由良家は恩田幾三という男が持ち込んだ新事業に手を出していた。恩田の話に疑惑を抱いた青池源治郎が直談判に乗り込んだ結果、その場で殺されてしまったのである。
亀の湯に滞在した金田一は、由良家・仁礼家・別所家にはそれぞれ同じ年に生まれた年頃の娘がおり、彼女たちと村の人気者である青池歌名雄との間に恋の鞘当てが繰り広げられていることを知る。ちょうどその頃、村の若者達の間では人気女優・大空ゆかりが里帰りするという噂で持ちきりとなっていた。実はゆかりの父は恩田幾三であり、詐欺師で人殺しの子供として幼少時は迫害を受けていたのだ。
庄屋一族の末裔である多々羅放庵と親しくなった金田一は、近々村に戻ってくる5番目の妻おりんに宛てた手紙の代筆を頼まれる。ところが、放庵はある日血痕を残して忽然と姿を消してしまう。それ以来、鬼首村ではおりんと思しき腰の曲がった老婆が目的されるたびに、次々と若い女性が殺される事件が巻き起こるのだった……。
連続殺人事件が村に伝わる手毬唄になぞらえて行われるという趣向は、ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」や深沢七郎の「楢山節考」から着想を得たもので、「獄門島」や「犬神家の一族」の見立て殺人と同一系譜にあたる。これらの作品は比較されることも多いが、複雑な人間関係に基づくストーリーや登場人物の丁寧な心理描写など、「悪魔の手毬唄」の方が優れていると感じる部分も多い。
犯人の動機は真に迫るものであり、やむに已まれぬ事情があったわけだが、それがこの物語をより味わい深いものにしている。また、作品全体に漂う不気味さも過去の名作にひけをとらず、腰の曲がった老婆と山道ですれ違う場面や、囲炉裏で顔を焼かれ判別のつかない死体など、印象的なシーンが次々と登場した。
本作でもっとも印象深いのは、23年前の未解決事件を一人で追い続ける磯川警部の存在だろう。妻を亡くし独身の磯川警部が、亀の湯に通ううち未亡人リカに好意を寄せるようになるエピソードは微笑ましい。なんとか事件を解決したい警部は金田一の力を借りようと画策するわけだが、最初は何も伝えず現地に呼ぶ展開など、後に続く岡山編の典型となっている。
驚愕の真実が明らかになった後、ボロボロになった磯川警部と金田一は短い旅をするのだが、別れ際の金田一の台詞が切なくて素晴らしい余韻を残す。必読の一冊。
【鬼首村手毬唄】
うちの裏のせんざいに
すずめが三匹とまって
一羽のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい枡屋の娘
枡屋器量よしじゃがうわばみ娘
枡ではかって漏斗で飲んで
日がないちにち酒浸り
それでも足らぬとて返された
返された二番目のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい秤屋の娘
秤屋器量よしじゃが爪長娘
大判小判を秤にかけて
日なし勘定に夜も日もくらし
寝るまもないとて返された
返された三番目のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい錠前屋の娘
錠前屋器量よしじゃが小町でござる
小町娘の錠前が狂うた
錠前狂えば鍵あわぬ
鍵があわぬとて返された
返されたちょっと一貫貸しました
<登場人物>
青池リカ … 鬼首村の温泉宿・亀の湯の女将。磯川警部の知人。
青池源治郎 … リカの夫。活弁士・青柳史郎。恩田に殺される。
青池歌名雄 … リカの息子。鬼首村青年団副団長。村のロメオ。
青池里子 … リカの娘。半身の赤痣を恥じて土蔵に閉じこもる。
お幹 … 亀の湯の女中。実家の屋号は笊屋。大空ゆかりを嫌う。
仁礼仁平 … 秤屋こと仁礼家の先代。ブドウ栽培で財を築く。
仁礼富貴子 … 仁平の長女。嘉平の姉。幼いときに亡くなる。
仁礼次子 … 仁平の次女。嘉平の妹。神戸に嫁いでいる。
仁礼咲枝 … 仁平の三女。嘉平の妹。鳥取に嫁いでいる。
仁礼嘉平 … 仁礼家の当主。鬼首村の主権者。
仁礼秀子 … 嘉平の亡妻。兵庫県の城崎から嫁に来た。
仁礼直平 … 嘉平の跡取り息子。えらもんという評判。
仁礼路子 … 直平の妻。
仁礼勝平 … 嘉平の次男。青年団団長。歌名雄と仲がよい。
仁礼文子 … 嘉平の末娘。由良泰子や大空ゆかりとは同級生。
由良卯太郎 … 枡屋こと由良家の先代。恩田幾三に騙される。
由良五百子 … 卯太郎の母。手毬唄の歌詞を知る数少ない人物。
由良敦子 … 卯太郎の妻。過去に仁礼嘉平と愛人関係にあった。
由良敏郎 … 卯太郎の息子。由良家当主。風采の上がらない男。
由良栄子 … 敏郎の妻。
由良泰子 … 卯太郎の娘。歌名雄の恋人。
別所蓼太 … 錠前屋という屋号の鍛冶屋。ゆかりの戸籍上の父。
別所松子 … 蓼太の妻。大空ゆかりの戸籍上の母。
別所辰蔵 … 蓼太の息子。仁礼家の葡萄酒工場長。飲んだくれ。
別所五郎 … 辰蔵の息子。青年団団員。歌名雄や勝平と仲良し。
別所春江 … 蓼太の娘。恩田の世話をやくうちに千恵子を産む。
別所千恵子 … 春江の娘。人気女優・大空ゆかりとなって帰郷。
恩田幾三 … 千恵子の父親。詐欺師。青池源治郎殺害の容疑者。
日下部是哉 … 大空ゆかりのマネージャー。
多々羅放庵 … 没落した庄屋の末裔。鬼首村の手毬唄を発掘。
栗林りん … 多々羅放庵の五番目の妻。通称おりん。
村崎きん … 鬼首村の百姓の老婆。
井筒いと … 総社町の旅館・井筒の女将。放庵やおりんの知人。
本多大先生 … 青池源治郎の遺体を検死した医者。現在は引退。
本多若先生 … 大先生の息子。本多医院の医者。
本多一子 … 本多先生の妻。
立花警部補 … 岡山県警の捜査主任。金田一をライバル視する。
乾刑事 … 岡山県警の刑事。
加藤刑事 … 岡山県警の刑事。
山本刑事 … 岡山県警の刑事。
木村巡査 … 鬼首村の駐在巡査。
磯川警部 … 岡山県警の古狸。23年前の事件を金田一に相談。
金田一耕助 … 静養できる田舎を探して磯川警部を訪ねた探偵。