戦国の頃、三千両の黄金を携えた八人の武者がこの村に落ちのびた。だが、欲に目の眩んだ村人たちは八人を惨殺。その後、不祥の怪異があい次ぎ、以来この村は“八つ墓村”と呼ばれるようになったという――。大正×年、落人襲撃の首謀者田治見庄左衛門の子孫、要蔵が突然発狂、三十二人の村人を虐殺し、行方不明となる。そして二十数年、謎の連続殺人事件が再びこの村を襲った……。
角川文庫創刊65周年を記念し、電子書籍を70%割引くフェアを角川書店が開催した。母の本棚に並んだ角川文庫の黒背表紙に興味を持ち、子どものころ貪るように読んだあの金田一耕助シリーズを揃える絶好の機会と考え、Kindleストアで記憶に残る作品を次々と購入し、時間を見つけては読み返している。
どの作品が一番好きか尋ねられるといささか迷うのだが、横溝正史を読んだ事がない人に最初の一冊として薦めるなら、角川文庫から第一弾として刊行された「八つ墓村」が一番ふさわしいように思う。本作は「本陣殺人事件」「獄門島」「夜歩く」に続く名探偵・金田一耕助シリーズの長篇第4作。昭和24年3月から「新青年」で1年間連載したが、同誌の休刊を経て、昭和25年11月から翌年1月まで「宝石」に連載された。
戦国時代、鳥取県と岡山県の境にある山中の一寒村に、8人の落武者が財宝とともに逃げ延びてきた。最初は歓迎していた村人たちだったが、三千両の黄金に目がくらみ落武者たちを皆殺しにしてしまう。その後、裏切りの首謀者であった田治見庄左衛門が発狂して村人7人を惨殺、自らも首をはねて死ぬという事件が起きる。祟りを恐れた村人たちは遺体を手厚く葬り、村の守り神・八つ墓明神とした。いつの頃からか「八つ墓村」と呼ばれるようになった村では、大正時代にも田治見家の当主・要蔵が発狂し、村人32人を惨殺するという事件が起きていた。
それから二十数年が経ち、神戸に住む寺田辰弥青年はラジオで自分を探している人物がいることを知る。七年前に母が亡くなってから天涯孤独の身となっていた彼は、諏訪弁護士から田治見家の跡継ぎであることを初めて聞かされ、迎えに来ていた祖父の井川丑松と対面する。ところが、二人きりになったとたん丑松は血を吐いて死んでしまうのだった。
彼の帰郷を喜ばない人間がいるらしいことを知り、大きな不安を感じながら八つ墓村を訪れる辰弥。異母兄にあたる現在の当主・田治見久弥からは、ぜひ村に戻ってきてほしいと告げられるが、その久弥も辰弥の目の前で息を引き取ってしまう。大量殺人鬼・要蔵の血を引く辰弥の周囲で次々と人が死んでゆくことで、迷信深い村人たちの恐怖と憎悪はしだいに高まっていった。
異母姉の春代や従妹の典子、分家の未亡人・森美也子に助けられながら、辰弥は母が隠した手紙を見つけたり、屋敷地下にある鍾乳洞を探索したりして日々を過ごす。警察の捜査が行き詰まるなか、ついに村人たちの怒りが爆発し、襲撃された辰弥は命からがら鍾乳洞へと逃げ込むのだった……。
冒頭に登場する村人32人殺しは、岡山県で実際に起こった「津山三十人殺し」事件がモデルとなっており、犯人が猟銃と日本刀で殺戮の限りを尽くす衝撃的なシーンは何度も映像化されているので、ご存じの方も多いのではないだろうか。なかでも山崎努演じる田治見要蔵が、白装束で頭に2本のろうそくを立て、鬼の形相で迫りくる姿は未だに強く印象に残っている。
しかしながら、話が壮大すぎるためか忠実に映像化できているものは無く、原作では非常に重要な役割を担う里村典子がまるごと省略されていることも多い。映画などをご覧になった方も、小説版を読むとあまりの違いに驚くのではないだろうか。
また、本作は推理小説というよりも冒険小説・伝奇小説というのがふさわしい趣があり、横溝正史ならではのおどろおどろしい舞台設定はきちんと押さえつつ、落武者に纏わる財宝伝説や鍾乳洞でのスリリングな追跡劇、さらには恋愛要素も楽しめるようになっている。
物語の中心人物である寺田辰弥の一人称で進んでいくこともあり、金田一の存在感が希薄なのは少々残念だが、後半の手に汗握る展開や、爽やかで心温まる結末など、細部にまで神経が行き届いた構成は実に見事といえる。日本探偵小説史に燦然と輝く不朽の名作と言えるだろう。
<登場人物>
寺田辰弥 … 田治見家の跡取りとして八つ墓村に呼び戻される。
寺田虎造 … 辰弥の義父。神戸の造船所の職工長。故人。
寺田鶴子 … 辰弥の母。幼い辰弥を連れて逃げた要蔵の妾。
井川丑松 … 鶴子の父。辰弥と会った直後、血を吐いて死ぬ。
井川浅枝 … 鶴子の母。辰弥の祖母に当たる。
井川兼吉 … 井川家の養子。丑松の甥。
田治見庄左衛門 … 村の分限者・東屋の主人。落人襲撃を画策。
田治見小梅・小竹 … 一卵性双生児の老姉妹。要蔵の大伯母。
田治見要蔵 … 26年前に発狂。村人32人を虐殺して姿を消す。
田治見おきさ … 要蔵の妻。村人32人殺し最初の犠牲者。
田治見久弥 … 要蔵の長男。田治見家当代。肺病を患っている。
田治見春代 … 要蔵の長女。辰弥の異母姉。腎臓が悪い。
里村修二 … 田治見要蔵の弟。母の実家を継ぎ里村姓を名乗る。
里村慎太郎 … 修二の息子。元軍人で独身。辰弥の従兄弟。
里村典子 … 慎太郎の妹。早産のため未成熟。一途なヒロイン。
お島 … 田治見家の若い女中。
平吉 … 田治見家の山方。大酒飲み。屏風絵が抜け出たと話す。
仁蔵 … 田治見家の山方。梅幸尼のところへ会席膳を届ける。
野村荘吉 … 村の分限者・西屋の当主。
野村達雄 … 荘吉の弟。森美也子と結婚後、脳溢血で亡くなる。
森美也子 … 美しき未亡人。以前、里村慎太郎と親交があった。
吉蔵 … 西屋の博労。26年前の事件で要蔵に新妻を殺された。
周吉 … 西屋の若者頭。白髪の老爺。
亀井陽一 … 小学校教員。鶴子の元恋人。26年前に村を去る。
長英 … 麻呂尾寺の住職。老齢で中風にかかり伏せっている。
英泉 … 麻呂尾寺の所化。長英にかわり寺のことを取り仕切る。
洪禅 … 田治見家の菩提寺である禅宗・蓮光寺の若い和尚。
妙蓮 … 通称「濃茶の尼」。他人のものを盗む癖がある。
梅幸 … 姥ケ市にある慶勝院という尼寺の院主。
諏訪弁護士 … 辰弥を探していた神戸の弁護士。野村家縁者。
久野恒実 … 村の診療所の藪医者。田治見要蔵の従兄。
新居修平 … 腕の確かな疎開医者。井川丑松の主治医。
N博士 … 岡山県警本部の嘱託医。
磯川警部 … 岡山県警の古狸。金田一とは旧知の仲。
金田一耕助 … モジャモジャ頭の小柄で奇妙な探偵さん。