仕事の疲れを癒やすべく、土日は日本三名泉の一つである下呂温泉で湯治と洒落込んできた。下呂温泉郷に向かう前に立ち寄ったのは、中山道と飯田街道の分岐点に位置し、古くから交通の要所として栄えた「妻籠宿」。
昭和43年に町並みの保存が始められ、昭和51年に国の重要伝統建造物保存地区に選定されている。宿場時代の面影を残す旅籠が当時の面影を残しており、懐かしさと郷愁を感じる情緒いっぱいの宿場町だ。
みたらし団子を食べながら「妻籠宿」を散策するのは楽しかった。
「下呂温泉合掌村」は白川郷などから移築した合掌造りの民家で日本の原風景を再現した、往時の生活を知る貴重な博物館。
村内は影絵昔話館「しらさぎ座」や民俗資料館などがある「合掌の里」と、桜と紅葉の里山「歳時記の森」の2つのゾーンで構成されている。
世界遺産の白川郷から移築した国指定重要有形民俗文化財の「旧大戸家住宅」。
「旧遠山家住宅板倉」は1810年に建てられた木造倉庫。板で壁を二重にしているため板倉と呼ばれている。
「旧岩崎家住宅主屋」は江戸中期の建築で、本を伏せたような屋根の形である切妻造り茅葺。世界遺産の富山県南砺市の五箇山から1968年に移築した。
日本で唯一の常設影絵昔話館「しらさぎ座」。残念ながら今日は休館日だった。
有馬温泉、草津温泉とともに日本三名泉の1つとして数えられる「下呂温泉」。飛騨川の畔、下呂温泉街の中心に位置し、1万坪の敷地に青嵐荘・臨川閣・飛泉閣・山水閣と4つの館が並ぶ「水明館」が今回のお宿。天皇陛下もお泊まりになられたという由緒ある旅館なのだとか。
昭和7年創業の老舗旅館である「水明館」は、素晴らしい絵画や芸術品の数々を所有している。横山大観や加藤卓男、加藤幸兵衛など数多くの美術品が飾られており、夕方から宿泊客向けに館内ツアーも催されていた。
観世流能楽師・関根祥六師の監修で建築された本格的な能舞台まであるのには驚かされる。
コンベンションホール「朝陽の間」のシャンデリアも素晴らしかった。
夕食は「ときわの間」で懐石料理。前菜は、生湯葉、鼈甲飴、クコ、山葵、煎り胡桃、そら豆、厚焼き玉子、数の子、松葉に黒豆と干し柿と海老。
碗替りは小鍋にて。浅利真丈、筍蕗、菜種、柚子。
本日の造りは鮪、海老、鯛。
凌ぎは蟹寿司、唐辛子、いくら、振り柚子。
焼肴は天子朴葉みそ焼き。
口直しは大根卸し蕎麦。
蒸し物は茶碗蒸し。白木茸、鱶鰭餡掛け、朝月。
強肴は牛ロースステーキ、和風卸しソース。
〆は飛騨こしひかり御飯と赤出汁。香の物三種盛り。
1月7日から3月25日まで、下呂大橋下流飛騨川河畔で毎週土曜日に開催されるのが、飛騨路の冬を彩る「花火の歳時記」。日本特有の四季の行事や風習を花火で表現した催し物で、下呂温泉を訪れた人々の旅情をますます高めてくれる。
「水明館」の風呂は3つある。檜が香る下留の湯、街を見下ろす大展望風呂、それに巨岩と緑に囲まれた野天風呂。肌触りが滑らかで、とても良い泉質だった。(写真は公式サイトより)
下呂温泉「水明館」での朝食はバイキング形式。標高600m前後の下呂は昼と夜の寒暖差が大きく、美味しいトマトが数多く生産されるため、そのトマトを使った濃厚なトマトジュースが人気とのこと。ホテル特製のフレンチトーストがフワフワで美味しかった。
宿を出発し高山市へ。早朝から開かれているのは、日本三大朝市の一つである飛騨高山の朝市。その歴史は古く、江戸時代に始まったという。朝市は陣屋前広場の陣屋前朝市と、鍛冶橋から弥生橋までの宮川沿いの宮川朝市の2ヵ所で行われている。
城下町の中心、商人町として発展した高山の上町、下町の三筋を古い町並と呼ぶ。特に上三之町・上二之町・上一之町のあたりを「さんまち通り」と呼ぶことがあり、高山の定番スポットになっている。
少し休憩したくなり立ち寄ったのは、高山の町並みに溶け込んだレトロな喫茶店「手風琴」。奥にある囲炉裏席が落ち着く。ぜんざいも美味しかった。
出格子の連なる軒下には用水が流れ、造り酒屋には杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり、町家の大戸や老舗の暖簾が軒をつらねている。
旅の最後は、細縮れ麺大好きな自分にとって外せない一品「高山らーめん」をいただき、東京への帰路についた。